~親鸞聖人ご生誕 8 5 0 年企画~
『歎異抄(たんにしょう)』は、生きる力、心の癒やしを与えてくれる古典として、日本人に親しまれてきました。
「無人島に、一冊もっていくなら歎異抄」といわれ、その人気は、ますます高まっています。
では『歎異抄』の何が、人々の心を引きつけているのでしょうか。
『歎異抄』は、親鸞聖人(しんらんしょうにん)の弟子が書いたものです。「ある時、お師匠様は、このようにおっしゃいました」と、師弟の対話が記されています。つまり、『歎異抄』を理解するには、親鸞聖人の教えと生涯を知ることが大切なのです。
それでは、全国に残る親鸞聖人の旧跡を訪ねる旅に出発しましょう。
不幸や災難に遭っても崩れない幸せに
親鸞聖人は『歎異抄』の冒頭で、「永遠に変わらない幸福に救われた」と、次のように明言されています。
(原文)「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり」と信じて「念仏申さん」と思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり (『歎異抄』第一章)
(意訳) “すべての衆生を救う”不思議な阿弥陀如来の誓願の力によって救われ、疑いなく弥陀の浄土へ往く身となり、念仏称えようと思いたつ心のおこるとき、摂め取って捨てられぬ絶対の幸福に生かされるのである。*
*『歎異抄をひらく』高森顕徹著(1万年堂出版)より
すべての人は、幸せを求めて生きています。どんなことがあっても崩れない幸福になることを願っています。
親鸞聖人は、どのようにして絶対の幸福に救われたのか、その道のりを訪ねていきましょう。
親鸞聖人は、平安時代の終わり頃に、京都の「日野の里」でお生まれになりました。
平安時代というと、何が思い浮かぶでしょうか。
貴族の文化が花開いた時代です。
艶やかな十二単を着た女性や、庭で蹴鞠を楽しむ男性の姿を挙げる人も多いでしょう。
清少納言の『枕草子』や、紫式部の『源氏物語』が書かれたのも、この時代です。
日本の都を京に定め、天皇と貴族を中心とした政治が約400年間も続きました。その実権を握っていたのが藤原氏です。中でも藤原道長は、娘を皇后にし、孫を天皇に即位させ、絶大な権力を掌握します。政治の要職を、道長の一族が代々独占する体制を築き上げたのです。
得意の絶頂にあった藤原道長は、寛仁2年(1018)10月16日、夜空に輝く月を見ながら、次のような歌を詠んでいます。
この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば
(意訳) この世は、私のためにあるようなものだ。今宵の満月に、欠けたところがないように、私の願いで、かなわないものは一つもない。
このように豪語した藤原道長でしたが、わずか3カ月後、急に体調を崩し、重い病に苦しむことになりました。どんなに権力や財産を集めても、その喜びは、「老い」と「病」の前には無力だったのです。
「このまま死ぬのではないか」と、ますます不安が高まっていきました。
藤原道長は「死後、極楽浄土に往生したい」と願い、財を投じて広大な寺院を建立しましたが、臨終まで安心できなかったようです。
親鸞聖人は、藤原氏の家系に、承安3年(1173)の春に誕生されました。藤原道長が、満月の夜に歌を詠んでから約150年後のことでした。
(『月刊 人生の目的』令和6年4月号より一部抜粋)
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