なぜ人間は、最も優しく、最も残酷な動物なのか

「生きる目的」を知る準備として、まず「生きる」とはどんなことかを、考察しています。人生を海にたとえるなら、「生きる」とは「泳ぐ」ことにほかなりません。目的なしに泳いだら疲れるだけですから、とりあえず目に入った丸太や板切れに向かって泳いでいます。目指す丸太の典型が、名聞利養(名声とお金)であることを述べてきました。

私たちの行動はすべて、丸太や板切れを手に入れたいという、「欲」から出たものではないでしょうか。レストランに入るのは食欲を満たしたいからであり、会社に行くのは給料が欲しいからでしょう。何もする気が起こらず、ぼーっとしている時でも、「今は休みたい」という欲が動いています。近所の公園をただ歩いているという人であっても、「気分転換したい」とか「座り続けたから体をほぐしたい」などの欲求が、そうさせたのです。

ならば「生きる」とは、単に「丸太に向かって泳ぐこと」、言い換えれば「欲を満たすこと」にすぎないのでしょうか。「欲」の分析を続けましょう。

先回は、欲望に五段階あるという、マズローの理論を取り上げました。欲を五つ列記したものに、「五欲」という仏教用語もあります。下図の五つです。

これらに共通しているのは、生きるために必要な欲だということです。食事や睡眠を取らなければ、死んでしまいます。お金がなければ、生活できないでしょう。

では、「名誉」も生存に必要なのでしょうか。「名誉」と聞くと、自分とは無関係だと感じる人もあるかもしれませんが、「他人からどう見られているか」という、「評判」のことです。

人間(ホモ・サピエンス)が誕生してから、約30万年といわれています。そのほとんどの期間、人は村や集団を離れては生きられませんでした。村人からの評判が悪ければ、たちまち生活は行き詰まってしまいます。たとえ処刑されなくても、皆から嫌われ、追放されることは、死を意味していたのです。

現代でも、人は「仲間はずれ」にされることを極度に恐れ、「孤独」だと感じると強いストレスを受けます。命に関わる危険な状態だと、体が警告を発するからです。

昔は村人からの「評判」で、生死が分かれました。その名残で、今でも人間は、文字どおり他人の「目」を強く気にしています。だからこそ一人でいる時より、誰かに見られている時のほうが、より多く寄付をしたり、ごみを片付けたりするのですが、それは生きた人間に見られる必要はありません。例えば、寄付箱のある部屋に、目のように見える二つの大きな丸を描いたカップを置くだけで、寄付の額が多くなります。ある自転車置き場に、怒った目の写真を貼ったところ、盗難が六割も減ったそうです。他人の目を気にする、名誉欲の強さを示す結果でしょう。

人間が、よい評判、名声、地位を求めるのは、それが生きるために、お金と同じくらい、ひょっとしたらそれ以上に、大切なものだからなのです。

(『月刊 人生の目的』令和6年6月号より一部抜粋)

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