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一番の幸福は何かと聞かれたら、「愛」と答える人が多いでしょう。しかし皮肉なことに、だからこそ「愛」は、私たちを根本的な不幸に突き落とす原因でもあるのです。
愛が深いほど、失った悲しみは深刻になります。その苦痛に耐えられず、「何かの間違いだ」と否定したり、「どうして先に逝ってしまったのか」と相手をうらんだり、「あの時こうしていれば」と自分を責めたりすることもあるでしょう。しかし、いくら悲しんだり怒りをぶつけたりしたところで、愛する人は戻りません。その現実を心から知らされた時、すべてを投げ出したくなる、本当の絶望が始まるのです。
1985年8月12日、日本航空のジャンボ機123便は、乗員乗客524名を乗せ、18時12分に羽田空港を飛び立ちました。12分後、異常事態が発生し機体のコントロールは完全に失われます。それから約32分間、左右に大きく振れながら、急角度の上昇下降を繰り返した末、群馬県の御巣鷹山に墜落。520名が死亡するという、単独機では史上最悪の事故となりました。
一夜にして、3,000人を超える遺族が現れたのです。事故機に乗り合わせた世帯数は401、その約半数は母子だけが残されました。事故から30年後に編さんされた、遺族の文集『茜雲』*1から、消えることのない悲しみを、いくつか紹介します。
花川明子(大阪府)
夫(56歳)を亡くす
貴方が突然私の前からいなくなり30年経ちました。
今思うと、あっという間の30年で、寂しく悲しい思いを繰り返しました。(中略)
良いことがあるたびに、一緒に喜びたかったのに残念です。
それは、これからも変わらず思うでしょう。
小澤紀美(大阪府)
夫(29歳)を亡くす
30年前の1985年8月12日、あのときから私は時間が止まり色も匂いも感情さえもない暗闇の日が始まりました。
あれから30年、一年また一年と生きてきました。
残された者は愛する人を亡くした悲しみより、その後生きていくことの方がもっと辛く悲しいことを知りました。(中略)
今でもどうしようもなく心の奥が痛み、涙がとめどなく溢れるときがあります。そんな繰り返しを一年また一年と積み重ねてきた30年です。
越智良子(愛媛県)
娘(26歳)を亡くす
あれから、30年の長い年月がたちましたが、私には、まだ少し前のような気持ちです。一日として忘れたことはありません。
現在いれば、どんなになっているかしら、子どもがいるかしら、孫もいるかな。
こんな思いで一日が過ぎます。(中略)
何か趣味でもみつけてと思い色々やってみますが、何も手につきません。
こんなことを書いていると目の前が涙でくもり、書けません。すみません。
この事故の10年後(1995年)には、阪神・淡路大震災で6,000人以上が犠牲となり、その16年後(2011年)の東日本大震災では、2万2,000人以上の死者・行方不明者が発生しました。2020年1月には新型コロナウイルス感染症が国内で確認され、4年間の累計死者数は10万人を超えています。
これ以上、私から愛する人を奪わないでください──人類の切なる願いでしょう。
「一切の滅びる中に、滅びざる幸福」こそ、私たちすべての願いであり人生の目的なのです。
*1『茜雲 日航機御巣鷹山墜落事故 遺族の30年』8・12連絡会(編)本の泉社(発行)
(中略)
多くの人は日々の生活に追われ、人生の意味など考えようともしません。しかし、子を亡くした親の集まり「ちいさな風の会」世話人を務める若林一美氏も語っているように、大切な人の死を経験すると、「人は何のために生きるのか」と問わずにいられなくなるのです。
大切な人を失った人は、生き続けることの困難さに直面し、それまでは考えてみようともしなかったような「人は何のために生きるのか」「生きるとは何か」といった命題に、ひきよせられるようにしてむかい合っている。
若林一美『死別の悲しみを超えて』より
日本を代表する哲学者・西田幾多郎は明治40年1月、6歳になったばかりの次女を、病気で失っています。西田が少年時代(14歳)に姉を亡くした時は、誰もいない所に行って泣きはらし、自分が代わって死んであげたいとまで思ったそうです。しかしわが子を失った悲しみは、かつて体験したことのない沈痛なものでした。周囲の人は、「ほかに子どももあるから」などと慰め、早く忘れるように勧めましたが、この悲しみを忘れたくないのが親だと言い切っています。
この悲(かなしみ)は苦痛といえば誠に苦痛であろう、しかし親はこの苦痛の去ることを欲せぬのである。
西田幾多郎『我が子の死』より
人間は、ただ白骨になって骨壺に納まるために生きているのではありません。深い意味があって生まれてきたはずです。西田幾多郎が、わが子の死を通して知らされたのは、人生で最も大切なことは、「死の問題の解決」だということでした。
とにかく余は今度我子(わがこ)の果敢(はか)なき死ということによりて、多大の教訓を得た。(中略)
特に深く我心(わがこころ)を動かしたのは、今まで愛らしく話したり、歌ったり、遊んだりしていた者が、忽(たちま)ち消えて壺中(こちゅう)の白骨となるというのは、如何なる訳であろうか。もし人生はこれまでのものであるというならば、人生ほどつまらぬものはない、此処(ここ)には深き意味がなくてはならぬ、人間の霊的生命はかくも無意義のものではない。死の問題を解決するというのが人生の一大事である、死の事実の前には生は泡沫(ほうまつ)の如くである、死の問題を解決し得て、始めて真に生の意義を悟(さと)ることができる。
西田幾多郎『我が子の死』より
やがて必ず死なねばならないのに、なぜ生きねばならぬのか。死の問題を解決して初めて、人生の意味が鮮明になるのです。
なぜ「愛する人の死」を経験すると、人生の真理が見えてくるのでしょうか。それは、「自分の死」と近い経験をするからです。
フランスの哲学者ウラジーミル・ジャンケレヴィッチが、「死」を三とおりに分けたことは、よく知られています。まず「第三人称の死」は、ニュースで「○○人が亡くなりました」と聞いた時のような、「誰か」の死です。それは毎日起こっている、ごく平凡な現象といえます。「死なんか怖くない」「死んだら死んだ時」と気楽に言う人がいますが、それは死を客観的に、「他人事」として眺めているからなのでしょう。「第三人称の死」しか、見ていないのです。
それに対し「第一人称の死」とは、「私自身の死」をいいます。当然ながらそれは、生きている間は決して経験することのできない、完全な謎に包まれた死です。しかし、この体験不可能な「自分の死」と、ただの数字でしかない「誰かの死」との、中間の「死」があります。それが「第二人称(あなた)の死」といわれるもので、親しい人の死です。その悲しみは、自分の死に匹敵するとジャンケレヴィッチは言います。
親しい存在の死は、ほとんどわれわれの死のようなもの、われわれの死とほとんど同じだけ胸を引き裂くものだ。父あるいは母の死はほとんどわれわれの死であり、ある意味では実際にわれわれ自身の死だ。
V・ジャンケレヴィッチ(著)仲沢紀雄(訳)『死』より
愛する人とは、身も心も一体になっていますから、その人を失うことは、半身をもがれるようなものです。それがどれほどつらい体験であるか、大切な人を失った時の「悲嘆」「現実否定」「怒り憎しみ」「後悔」などについて述べてきました。重い病を患い、自分の死を宣告された人も、類似した精神状態になるでしょう。
(『月刊 人生の目的』令和7年2月号より一部抜粋)
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