「説法旧跡」と記された石碑が、愛知県岡崎市の柳堂の前にあります。
「説法」とは、仏法を説くことです。説法の会場が旧跡になるとは、意外な感じがしました。
しかも、この柳堂は国の重要文化財に指定されています。歴史的にも、よほど大きな影響力を与えた説法だったのでしょう。
妙源寺の山門前に建つ石碑
それもそのはず!
関東から京都へ向かって旅を続けられる親鸞聖人(しんらんしょうにん)が、21日間もご説法をされた場所だったのです。
柳堂で、どのようなドラマがあったのでしょうか。
いつまでも続く幸せを求めて
三河の城主が、聖人のお弟子に
柳堂は岡崎市大和町の、妙源寺の境内にあります。住職に取材を申し込もうと、寺に電話をかけると、「現在この番号は使われておりません」というメッセージが流れてきました。
やむをえないので、直接、妙源寺へ向かいました。
JR 名古屋駅から、東海道本線を普通列車で40分ほど行くと西岡崎駅に着きます。この駅から妙源寺までは、歩いて5分もかかりません。
山門の前には、「親鸞聖人説法旧跡 柳堂」と刻まれた立派な石碑が建っています。
柳堂は、予想していたよりも小さな建物でした。江戸時代に再建されたものなので、親鸞聖人の時代の規模は分かりませんが、写真のように、「国宝柳堂」と刻まれた石柱の文字が際立って見えました。
国の重要文化財に指定されている妙源寺柳堂
しかし、柳堂の背後にある妙源寺は、さびれています。人の気配がありません。廃寺ではないかと感じるほどです。
近くの道路を歩いている人に、「妙源寺の住職と連絡を取るには、どうすればいいですか」と尋ねると、「この寺には、今、誰もいませんよ。住職が死んでから、跡を継ぐ人がいないのです。由緒ある寺なのに、寂しくなりました」という答えが返ってきました。
しかたないので、図書館で資料を探しました。
江戸時代に発刊された『二十四輩順拝図会』には、親鸞聖人のご旧跡の情報が集められています。『柳堂妙源寺縁起』も手に入りました。これらをもとに、柳堂のいわれをまとめてみましょう。
親鸞聖人が、関東から京都へ向かわれたことは、当時、ビッグニュースとして東海道を駆け抜けたと思われます。
三河国(現在の愛知県東部)では、碧海郡の領主・安藤信平が、「この機会に、有名な親鸞聖人から仏法を聞かせていただきたい」と、聖人がお通りになるのをお待ちしていました。
安藤信平は、城主として地位や財産に恵まれていましたが、そのような幸せは、いつまでも続くものではない、と感じていたのです。
文暦2年(1235)2月12日。 安藤信平は、親鸞聖人を城内の柳堂へお招きし、「人は、なぜ生きるのでしょうか。どうすれば、変わらぬ幸せになれるのでしょうか」とお尋ねしました。
親鸞聖人は、「この世は、すべて無常であり、いつまでも続く幸せはありません。しかも一番大切な自分の命にも限りがあります。死んだらどこへ行くのか。この後生暗い心を解決して、この世から永久に変わらぬ幸せになることが、仏教を聞く目的なのです。阿弥陀仏は、すべての人を、必ず絶対の幸福に救うと誓われています。阿弥陀仏の本願を真剣に聞き求めなさい」と教えられました。
安藤信平は、目が覚める思いがしました。「これこそ、私が求めていた真実の教えだ」と喜び、その場で、城主の位を弟に譲って、親鸞聖人のお弟子・念信房となったのです。
(『月刊 人生の目的』令和7年4月号より一部抜粋)
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