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親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、関東での20年間の布教を終えられ、京都へ戻られることになりました。
今なら、東京から京都までは新幹線で2時間あまりで到着します。しかし、当時は徒歩で数十日もかかったのです。
親鸞聖人が京都へ向かわれた道中には、多くの人との出会いを伝える記録が残されています。それは、聖人から真実の仏法をお聞きし、仏教観、人生観が大変わりした人々の、喜びの声ばかりです。
私たちも、関東から京都へ向かう旅を始めましょう。
まず、静岡県藤枝市の蓮生寺(れんしょうじ)を訪ねます。ここは、「福井長者」と呼ばれていた駿河国*の富豪・福井憲順の屋敷跡です。
今から800年前、関東と京都を結ぶ東海道には、険しい峠や、橋のない大河など、通行に困難な場所が多くありました。
その最大の難所の一つが大井川でした。川で深みにはまり命を落とした旅人が、どれだけあったか分かりません。
親鸞聖人も歩いて渡られた大井川とは、どんな川なのでしょうか。
蓮生寺へ行く前に、JR藤枝駅から車で大井川を見に行きました。
まず驚いたのは川幅の広さです。車で橋を渡りましたが、なかなか向こう岸に着きません。なんと、橋の長さが1,000メートル以上もあるのです。こんなに広い川を歩いて渡るのは、とても危険だったはずです。
また意外にも、現在は、川の水量が少なくなっていました。石ころだらけの川底がむき出しになっています。これは、氾濫を防ぐために上流にダムが建設されたからでしょう。昔は、水量の多い暴れ川として恐れられていたのです。
江戸時代、藤枝は、東海道五十三次の22番めの宿場町でした。
親鸞聖人の時代には、どれほどにぎわっていたか分かりませんが、大井川を渡る前に、この町で宿を取る旅人が多かったと思われます。
そんな藤枝で、親鸞聖人が到着されるのを心待ちにしている人物がいました。この町の富豪、福井憲順です。
なぜ彼は、親鸞聖人にお会いしたかったのでしょうか。
しかも、「何十年も、無駄に年月を過ごしてしまった。今度こそ……」とつぶやいているのです。
その深い訳を、藤枝市本町の蓮生寺を訪ね、前住職の熊谷法昭(くまがい のりあき)さんにお聞きしました。熊谷さんは、本堂に二幅の掛け軸をかけて、源氏の武将だった熊谷直実と、福井憲順の関係を詳しく説明してくださいました。
福井憲順が仏法を聞くようになった経緯には、いくつかの説があります。これまで判断に迷っていたのですが、今回、蓮生寺の略縁起と江戸時代の資料*を照らし合わせることによって、次のようなドラマがあったことが分かってきました。
*駿河国……現在の静岡県中部
*江戸時代の資料……二十四輩順拝図会
(『月刊 人生の目的』令和7年3月号より一部抜粋)
<続きの主な内容>
全文は本誌をごらんください。
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