大革命を断行した人──。
明治の文豪・夏目漱石が、親鸞聖人に贈った賛辞です。
漱石が「大革命」と驚いた事件は、親鸞聖人31歳の時に起こりました。公然と結婚されたのです。
「結婚? それがどうして事件なの?」と疑問に思う人が多いでしょう。
当時、天台宗や真言宗などの旧仏教は、僧侶が「肉食妻帯(にくじきさいたい)」することを固く禁じていたのです。
肉食妻帯とは、結婚したり、動物の肉を食べたりすることです。この戒めを、陰で、こっそり破る生臭坊主はいましたが、堂々と宣言して結婚した僧侶は、誰もいなかったのです。
その重大な意味を感じ取った漱石は、大正2年12月、第一高等学校(東京大学の前身)で行った講演で、次のように述べています。
※ ※
坊さんというものは肉食妻帯をしない主義であります。それを真宗の方では、ずっと昔から肉を食った、女房を持っている。これはまあ思想上の大革命でしょう。親鸞上人に初めから非常な思想があり、非常な力があり、非常な強い根柢のある思想を持たなければ、あれほどの大改革は出来ない。(中略)
思い切って妻帯し肉食をするということを公言するのみならず、断行して御覧なさい。どの位迫害を受けるか分らない。尤(もっと)も迫害などを恐れるようではそんな事は出来ないでしょう。そんな小さい事を心配するようでは、こんな事は仕切(しき)れないでしょう。其所(そこ)にその人の自信なり、確乎(かっこ)たる精神なりがある。その人を支配する権威があって初めてああいうことが出来るのである。
(『漱石文明論集』岩波書店刊)
※ ※
親鸞聖人が、公然と肉食妻帯を断行されたことは、日本の歴史上でも、大事件であったことが分かります。
だから今日、親鸞聖人といえば肉食妻帯、肉食妻帯といえば親鸞聖人といわれるのです。
では、なぜ親鸞聖人は、肉食妻帯を断行されたのでしょうか。また、この大革命によって、どんな迫害が起こったのでしょうか。その真相を明らかにするために、今回は、京都市内の赤山明神跡、吉水草庵跡、岡崎草庵跡を訪ねましょう。
仏道修行の目的
なぜ、厳しい修行をするのか。
この目的が分からないと、親鸞聖人の生涯も、『歎異抄』も理解できなくなります。
幼くして両親を亡くされた親鸞聖人は、「次に死ぬのは自分の番だ」と、無常を強く感じられました。
「死んだら、どこへ行くのか」
「死後は、あるのか、ないのか」
これらの不安や疑問は、すべての人にとっての大問題です。
この大問題を、仏教では「後生の一大事」といいます。
後生の一大事を解決し、この世から、未来永遠の幸せになるために、仏教を求めるのです。
親鸞聖人は9歳で比叡山延暦寺の僧侶となり、欲や怒り、ねたみなどの煩悩と闘う難行苦行を続けておられました。
赤山明神に現れた美しい女性
「なぜ、女を差別するのですか」
そんなある日、都から比叡山へ戻ろうとして、赤山明神の前を通られた時のことです。
どこからともなく、「親鸞さま、親鸞さま」と呼びかける女性の声がしました。
「こんな所で、誰だろう?」
振り返ってみると、ハッとするほど美しい女性が立っていました。
「私を呼ばれたのは、そなたですか」
「はい。私でございます。親鸞さまに、ぜひ、お願いがあって……。どうか、お許しください」
「この私に、頼み?」
「はい、親鸞さま。今からどこへ行かれるのでしょうか」
「修行のために、山へ帰るところです」
「それならば、親鸞さま。私には、深い悩みがございます。どうか山にお連れください。この悩みを何とかしとうございます」
「それは無理です。あなたもご存じのとおり、このお山は、伝教大師(でんぎょうだいし)が開かれてより、女人禁制の山です。とても、お連れすることはできません」
「親鸞さま。親鸞さままで、そんな悲しいことをおっしゃるのですか。伝教大師ほどの方が『涅槃経(ねはんぎょう)』を読まれたことがなかったのでしょうか」
「えっ、『涅槃経』?」
「はい。『涅槃経』の中には、『山川草木(さんせんそうもく)悉有仏性(しつうぶっしょう)』と説かれていると聞いております。すべてのものに仏性があると、お釈迦さまは、おっしゃっているではありませんか。それなのに、このお山の仏教は、なぜ女を差別するのでしょうか」
「……」
「親鸞さま。女が汚れているから、と言われるのなら、汚れている、罪の重い者ほど、余計に哀れみたまうのが、仏さまの慈悲と聞いております。なぜ、このお山の仏教は女を見捨てられるのでしょうか」
鋭い指摘に、親鸞聖人は、返す言葉がありませんでした。
今でこそ比叡山は、観光バスや自家用車、ケーブルカーなどで、誰でも自由に登ることができます。
しかし、明治時代までは、「女人禁制」「女人結界の地」として、女性の入山は固く禁じられていました。
生きることに、悩み、苦しんでいるのは、男も女も同じです。
「死んだらどうなるのか」と、暗い心を抱えているのは、男だけではないのです。
それなのに、なぜ、比叡山の仏教は、女性を差別するのか……。
赤山明神に現れた女性の言葉は、親鸞聖人の胸に深く突き刺さるのでした。
やがて女性は、「親鸞さま。どうか、すべての人が平等に救われる教えを明らかにしてくださいませ」と言い残し、どこへともなく去っていきました。
しかし、親鸞聖人の心には、この日から異変が起こったのです。
吉川英治は、小説『親鸞』に、次のように書いています。(範宴(はんねん)は、比叡山時代の親鸞聖人の名前)
※ ※
範宴の眸(ひとみ)にも、心にも、常に一人の佳人(かじん)が棲んでいた。追おうとしても、消そうとしても、佳人はそこから去らなかった。そしてある時は夢の中にまで忍び入って、範宴の肉体を夜もすがら悩ますのであった。
(『親鸞』より)
※ ※
天台宗、真言宗などの伝統的な仏教では、僧侶が女性に心を奪われないように厳しい戒律を定めています。
「大蛇を見るとも、女人を見るな」「火柱だいても、女人はだくな」「女人は地獄からの使いなり」とまでいわれています。
親鸞聖人は、誰よりも真面目に修行に打ち込み、戒律を破るようなことはしておられません。
しかし、心の中に噴き上がる恋の炎は、理性の力では消せないのです。心で造る罪の重さに苦しまれたのでした。
何をしていても、赤山明神で出会った女性の面影が浮かんできます。
「そんな邪念を振り払え!」と戒めても、耳の奥から、「親鸞さま、親鸞さま」と、ささやく声が聞こえてくるのです。
「欲にまみれ、怒り、恨み、ねたみの心が渦巻いている人間は、救われないのか」
「どうすれば、後生の一大事を解決できるのだろうか」
親鸞聖人の苦悩は、深まるばかりでした。
そして、ついに、これらすべての疑問が氷解する時が来ました。
(『月刊 人生の目的』令和6年8月号より一部抜粋)
続きは本誌をごらんください。
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