【歎異抄の旅】京都の北東にそびえる比叡山

~親鸞聖人ご生誕 8 5 0 年企画~

『歎異抄』第一章は、
「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて」
で始まります。
「親鸞だけでなく、すべての人が弥陀の誓願(誓い)に救われたならば、永遠の幸せになれるのだよ」
と、私たちに呼びかけられているのです。

しかし、親鸞聖人が9歳で出家されてから、永遠の幸福に救われるまでには、長い道のりがありました。今回の「歎異抄の旅」は、親鸞聖人が、20年間も厳しい修行に打ち込まれた比叡山へ向かいましょう。

比叡山は、京都市の北東にそびえています。約1,200年前、この山に天台宗の延暦寺が建立されました。

9歳で出家された親鸞聖人は比叡山へ上り、天台宗の僧侶になられたのです。その目的は何だったのか。非常に重要なことなので、もう一度、確認しましょう。

4歳でお父さんを、8歳でお母さんを亡くされた親鸞聖人は、「次に死ぬのは自分の番だ」と驚かれたのです。

死ねばどうなるのか。

この世が終わったらどこへ旅立つのか。

死後( 後生)は、あるのか、ないのか、さっぱり分からず、未来は真っ暗がりでした。

「この、死んだらどうなるか分からない心( 後生暗い心)を解決したい」と仏門に入る決意をされたのです。

天台宗は、法華経に従って戒律を守り、欲や怒り、恨み妬みなどの煩悩と闘って助かろうとする教えです。その修行はとても厳しく、命懸けの難行でした。

現在、比叡山延暦寺は世界文化遺産に登録され、観光地になっています。はたして、親鸞聖人が修行に励まれた面影は残っているのでしょうか。

山頂へ向かうには、直通バス、ケーブルカー、ロープウェイなどの方法があります。私はJR京都駅前で車を借りて、比叡山ドライブウェイを利用しました。途中に展望台が何カ所もあり、眼下に広がる美しい琵琶湖を眺めることができます。しかし、道路は急カーブの連続です。対向車だけでなく、「鹿の飛び出し注意」の標識が多いこともあり気を遣います。

頂上付近のトンネルを抜けた所が、延暦寺バスセンターです。まるで、高速道路のサービスエリアのように広い駐車場を備えています。

ここが延暦寺の入り口にあたります。受付で、巡拝料を払うと、窓口の女性から丁寧な説明を受けました。

「延暦寺の境内は、約1,700ヘクタールもあります。甲子園球場のおよそ500個分の広さです。この中に全部で100以上のお堂が建っているのです。一日で全部回るのは無理でしょうね」

そこで、
「最初に延暦寺へ行ってみます。どこにありますか」
と尋ねると、
「延暦寺という寺はありません」
と意外な言葉が返ってきました。
「学校の教科書にも、観光案内にも、延暦寺と書いてありますよ」
「比叡山にある多くの寺を総称して『延暦寺』と言っているのです。特定の建物の名前ではないのです」

こういう点が、奈良の東大寺や興福寺と違うところです。

(『月刊 人生の目的』令和6年6月号より一部抜粋)

続きは本誌をごらんください。


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