【因果の道理】「自分が悪い」と、なぜ、思えないのか

「因果の道理」の話を続けます。

私たちの幸福や不幸という運命は、何によって決まるのでしょうか。釈迦は、自分のした行いが、自分の運命を生み出すのだと教えられました。行為と運命の関係を、次のように説かれています。

善因善果
 善い行いをすれば、
 善い結果(幸せ)が現れる
悪因悪果
 悪い行いをすれば、
 悪い結果(不幸)が現れる
自因自果
 自分の行為の結果(禍・福)は、自分に現れる

私たちは自分によい結果が現れた時は、これは私が日頃からよい行いをしているからだ、己の努力が実を結んだのだと思います。しかし、悪い結果がやってくると、自分は何も悪いことをしていないのに、なぜこんなめに遭うのかと腹が立つのではないでしょうか。そして、これはあの人が失敗したからだ、この人がよけいなことを言ったからだと、他人のせいにしがちです。

なぜ「悪因悪果、自因自果」は認められないのか。その理由をこれまでいくつか述べてきましたが、今回も続けます。

私たちはうぬぼれ強いので、自分が悪いことをしているとは、なかなか思えません。誰しも、他人には厳しく、自分には甘いものです。

他人が少しでもミスをすると、あの人はいつも注意散漫で、いいかげんだと、口うるさく言うのではないでしょうか。ところが自分が間違えた時は、たとえ大きなミスであっても、誰だって思い違いはある、これぐらい人間なら当たり前だと開き直って、悪いことをしたとは思えません。それどころか、多少は抜けたところがあるほうが人間味があるなどと、とんでもない理屈を持ってきて、悪いことさえ、よいことにしてしまうのです。

また、たとえ悪いことをしたと認めた時でも、そんな嫌なことは、すぐ忘れてしまうでしょう。小学生の時に褒められたことは鮮明に覚えていても、社会人になってから受けた注意を、どれだけ思い出せるでしょうか。

自分が悪いことをしているとは、少しも思っていないのですから、悪い結果が現れた時に、自業自得だと思えないのは当然でしょう。

(『月刊 人生の目的』令和7年12月号より一部抜粋)

88ページ/A4変型
定価:700円(税込)


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