人間の一生は、願望と達成の繰り返し
五欲を満たす喜びについて論じてきたことを、整理します。
食べたい、眠りたい、配偶者を得たい、地位やお金を手に入れたいという五欲に共通するのは、生き残るため(そして子孫を残すため)に必要不可欠だということです。より長生きして、より多くの子孫を残すには、必要なものを手に入れるために、絶えず五欲を満たす努力をしなければなりません。幸か不幸か人間の脳は、やすやすと五欲の奴隷になるようプログラムされています。
人生という大海に放り出された私たちは、五欲に命じられるまま、周囲に浮いている名声や財の丸太を所有しようと必死です。欲を満たせば、「気持ちよさ」「快感」が得られるからです。
なんとか丸太に泳ぎつき、「やった」と歓声をあげたのも束の間、感動は冷めていきます。
追い求めている間は輝いていたのに、いざたどり着くと魅力はうせ、「こんな程度のものだったのか」と幻滅してしまうのです。「もっと大きな丸太なら、満足できるはず」と思い直し、次の目標に向かって泳ぎ始めます。
(中略)
五欲は私たちを休ませてくれない
やっとの思いで名声や財を獲得しても、すぐそれに慣れてしまうのは、なぜでしょうか。
現状に甘んじるより、さらなる権力や財力を求めたほうが、生き残るのに有利だからです。際限なく広がる五欲は、決して私たちを休ませてはくれません。
達成した満足が慌ただしく立ち去ると、今度は「もっと所有すれば満足できるはず」という思い込みが生まれ、新たな苦労が始まります。しかし、車輪の中に閉じ込められたネズミと同様、どこまで走ってもスタート地点に逆戻りで、不満から脱することはできません。この現象は、心理学で「ヘドニック・トレッドミル」(快楽の回し車)と呼ばれています。
私たちは、恋人が欲しいとか、マイホームが欲しいとか、何か欲しいものができると、それが手に入らない間は、ほかの何よりも光を放って見えます。ところが望みをかなえると、今度は別のものが欲しくてたまらなくなるのです。こうして不満を抱えたまま、同じ所を回り続ける人間の一生を、2,000年前のローマの哲学者ルクレーティウスは、次のように描写しました。
我々が動き廻っているのも、生存しているのも、常に同じ埒内に在るのであって、生きているからと云ってその為に新たな喜びが作り得られるわけのものではない。ただ、渇望する憧れは、とても達せられないうちは、これが他の何物よりも勝れたものででもあるかのように見えるに過ぎない。その渇望も、一旦達してしまえば、又その後から別なものを我々は渇望する*
この流転から出て離れない限り、真の平穏は訪れません。
*『物の本質について』ルクレーティウス(著)樋口勝彦(訳)
(『月刊 人生の目的』令和6年9月号より一部抜粋)
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