必ず崩れる信心と、絶対に裏切られない信心
確かなものがないから、信じるしかない
何を信じ、頼りにし、生きがいにしようと、いつか必ず裏切られます。「これだけは確実」といえるものは存在しません。
逆説的ですが、確かなものが何もないからこそ、何かを信じるしかないのです。なぜそうなるのか、「信心」の考察を進めましょう。
信心は、「信じる心」と「信じる対象」の、二つで構成されていると前号で述べました。もう一つ、信心に必ず含まれる要素があります。それは「疑い」です。
ほとんどの人は、「信じる」の反対は「疑う」であり、だから「信じる」とは「疑いがないこと」だと思っているでしょう。その常識は誤解ですから、訂正しなければなりません。理屈より先に、具体例で説明します。
大学入試に見事、合格した娘に、父親が言いました。
「いやー、よく頑張った。おまえはカンニングなんかしていないと信じているよ」
これは無神経にもほどがあります。娘はかんかんに腹を立て、
「お父さん、私を疑ってるの? もう最低!」と言ったきり、二度と口をきかなくなるでしょう。不正疑惑がないなら、わざわざ「信じている」などと、口にしないのです。
夫が妻に「今日は出張で泊まりだから」と言った時に、「あなたを信じているからね」とくぎを刺されたら、もう完全に疑われています。疑いがあるからこそ、「信じている」という言葉が出てくるのです。
疑いの余地が全くない時は、「信じている」とは言わず、「知っている」と言います。
2020年に開かれる予定だった東京五輪は、新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって一年、延期になりました。しかし翌年になっても開催は危ぶまれ、直前まで反対する声があったのです。そんな不確かな状況では、「今度こそ開催されると信じている」と言うしかありません。結局、2021年の7月に挙行できたので、それ以降は「2021年に開かれたと知っている」という言い方をします。疑いが全くなければ、信じる必要はありませんから、「信じている」とは言わないのです。

疑いがないところに信頼はない
3月号に引用した『日本国語大辞典 第二版』(小学館)には、「信仰」とは「信頼して疑わないこと」だと書かれていました。よく注意しなければならないのですが、信頼して「疑わないこと」と、「疑いがないこと」とは、全く違います。
「疑わない」というのは、本当は疑うべき根拠があるけれども、それについては、あえて目をつぶるという、思考停止なのです。
(『月刊 人生の目的』令和8年4月号より一部抜粋)

88ページ/A4変型
定価:700円(税込)
続きの主な内容
- 人生は丸太ギャンブル
- 真実の信心を獲て、永久に変わらぬ幸せに
- まとめ 生きがいと、人生の目的の違い
全文は本誌をごらんください。
『月刊 人生の目的』は書店ではお求めになれません。
ネットショップまたはお電話にて、ご注文ください。
単品注文は、税込1万円未満の場合は送料350円となります。
定期購読は送料無料でお得です。


